mie's trash box

要らないものは捨てましょう。

独り善がり

ずっとしまい隠していた精神が突如出血したので、やはりそろそろ書かなければという気持ちになった。私が最もそして唯一信頼していた私に裏切られた話。

 

私が絶望したのは高校三年生卒業式の次の日の私に、だ。進学先の合否が分かったとき。

必要ないと言われているような気分だった。

 

私は進学することを決意した。もう1年なんて気力はなかった。でも全く納得はしてないし、行きたい気持ちは微塵もなかった。母は行きたくない気持ちが少しでもあるならやめておきなさいと言った。だから無理矢理にでも押し殺した。

 

3月中旬、わざわざ飛行機に乗りアパートを決めてあとは父が署名をすれば全て私の思い通りだった。

しかし、そうはならなかった。私は母に正直に思っていることを話した。母は娘とのいい小旅行になったと言った。

 

決めたはいいものの、もう1年やりきるのは私だ。すでにこの時から不安定だったのかもしれない。

 

事細かに書くのは気が引けるので印象的なことだけ抜粋して書くとしよう。

 

現役の頃ひどかった不眠症は知らないうちに治っていた。寝れない日がなかったわけじゃないけど治っていた。でもどういうわけか、3月の記憶のせいか、突然自分の思っている感情とは違う感情が前に出るようになった。例えば怒ってないのに怒っていたり気づけば泣いていたりした。これが母と最悪の関係になる原因になった。

 

私のことを何ヶ月かに1回か気にかけてくれる人がいた。たまには気分転換をした方がいい、あまり考えすぎるなよと言うのがお決まりの台詞だった。高校からの友人だったけど今もなおこういうところは変わってない。だけど、今となっては人たらしも大概にしてほしいなどと軽々しく言えなくなってしまった。

 

勉強なんかできなくてもいいと毎回授業中に話す化学講師と出会った。勉強なんかできなくてもいいから愛想は良くしなさいと口うるさく言っていた。きっと今も言っているんだろう。私は先生の授業が一番好きだった。知恵熱作用のある授業だった。毎回柄の違うワイシャツを着ていた。同じ柄を一度として見たことがないというような変な先生だった。自分のことは多分全部嘘で本当のことのように話していた。化学と物理はいつも本質を教えてくれていた。変な先生だった。

 

英語が大嫌いだった。私の英語教師は元々詩人になりたかったそうだ。よく有名なフレーズを紹介した。Only is not lonely. 先生が私に送った言葉だった。

 

母に思っていた不満を全部ぶつけたことがある。分かったような口を聞くのがそろそろ許せなくなったからだ。あなたには分からないでしょう、と私は自分を責め続けひどい過呼吸になった。酸素を欲すれば欲するほど呼吸困難になった。そして元々持っている偏頭痛がさらにひどくなった。落ち着いて、という母を今度は責め立てた。理不尽極まりないことは分かっていた。私は彼女を泣かせるまで追い詰めていた。そこから入ってきた父はもちろん母の味方をした。過呼吸で死ねたら良かったと不意に思った。

 

 

私は現在、納得して今の大学に通っている。

大学一年の頃は目が死んでいて浪人の頃より周りを困らせた気がする。自分を大切にしなかった。どうでも良かった。ただそこまで馬鹿じゃないのと幸運なことにより危険なことに巻き込まれたり取り返しのつかないことがあったりなんてことはない。ただ今でも心配してくれる仲のいい友人には迷惑をかけた。サシで飲みに行くとあのころより良くなったよなと毎回のように言われている。彼も境遇が同じだったので仲良くなるのに時間がかかる私と短期間で友達になれたんだと思う。

当時祖母の家に居候をしていた。しかしそれが原因でまた私は母を困らせた。他人が私に触れるたび1人になりたかった。良かれと思って、が私には不必要で仕方なかった。分かってもらおうなんて思ってないし、放っておいてくれれば良かった。死ねもせず酸素を欲張って過呼吸になる自分が嫌いだった。母とは物理的に離れていたので顔は見えてなかったけど、きっとまた泣かせてしまった。また父は母の味方をした。思っていても言わない方がいい、言わないでいることが望まれていると思っていた。いい子でいることがこういうことだと思っていた。だからこのときようやく全部を諦めた。

ちゃんと段階を踏んで家を出た。やっと1人になれた。母は私が思うに誰よりも寛容だと思う。だけど、難しいことに対しては蓋をする傾向がある。何もなかったかのように私に接した。私は言葉で伝えることが上手くないので雨のパレードのYouという曲を送った。ちょうどその曲が私の思う全てだった。母を苦しませていたこともこの曲を聞いて彼女が涙を流したことも私は知っている。

 

許せないのは分かるけど許してあげてほしいと今の私が当時の私に言う。当時の私は未だに泣きながら怒り発狂を繰り返す。何に対して泣いて怒っているのか分からない。分からないからただ踠き苦しんでいる。どうにもできないから私はまた見えない奥底で殺し押し込んで隠した。

 

永遠のループ。逃れられない不安定感。捨てられない幼すぎるプライド。悪いのは全部お前だと黒い影に責め立てられる悪夢。

 

さて、精神が出血したのは本当に些細な出来事だった。未だに当時の記憶に血が通い擦り切れ出血するのかと驚いてしまった。

その些細な出来事は至極当然な流れで起きた。私のことを知るためにただ聞いてくれただけだ。何も悪くない。その人は何も悪くないのに私の機嫌が悪くなったと思い、何度も謝った。謝らせてしまったと思った。

本音を言えば一番謝ってほしくなかったというのはさすがに幼稚すぎるだろうな。

 

どれだけ今の私を責めたてても過去の私は許してくれない。過去の私は今の私を認めてくれない。蘇る過去の私を何度も捨てて生きている。だからきっと今の私ですら今の私をちゃんと認めてない。必要のない私が自信を持つなんて何を根拠に、という話で終わる。何も進学が全てじゃないことくらい分かってる。そういう話じゃない。

 

この独り善がりがどれだけ自分勝手で自己中心的かは分かっているつもり。だからこそ私は私の核なる部分に人を近づけたくない。元々そういうところがあったけど、より一層この気持ちが強くなった。人を傷つけたくない。成仏できるとも思ってない。

救ってくれるのはBUMP OF CHICKENの太陽という曲だけ。もちろん今回止血できたのもこの曲を聞いたからだと思う。私にとって彼らの音楽は本当に何よりも大切だということは誰も知らないし伝えようがない。

 

その人は私のことをなんでも知りたいと言う。珍しい人だと思った。でもこのことを話すには時間と体力がいる。きっと私は何としてでもはぐらかすだろう。きっとその人は何としてでも問いただすだろう。拗ねられても困ってしまう。約束を破るのは性に合わない。だから書いただけの話。もうきっと思い返すことはない。