恩を着せると仇で返される(2019.6.13)
涙は自己防衛反応だと思う。
涙で初めに思い浮かぶのは悲しいことがあったのだろうかということ。身体の悲鳴が涙になるみたいな文章をどこかで読んだ。
一定の浄化作用が見込まれ、泣いた後リラックスできたりストレス発散になったりするという。
ちなみに、小さい赤ちゃんは泣くのが仕事らしい。
初期機能として備わっているものなのに、歳を重ねるにつれ意味がなくなっている気がする。ただ泣くとその分疲労の度合いが比例的に増えていて余計だ。場合によっては、大した浄化作用が見込めないときもある。歳を重ねることが難しいことなのか、泣くという行為が難しくなることなのか22歳には分からない。このシステム自体がもはや恩着せがましい。有難くもなんともない。結局、泣いたところで解決にはならない。
覆水盆に返らず
まさにその通りだ。泣いたところで仕方ない。
起きてしまった理由やそれまでの経緯やら何をどれだけ説明しても、その分無意味だったことを思い知らされ余計に悲しくなるだけだ。仇で返されるなら、涙腺を失くしてからにしてほしい。
私の最近の願いはそんな大したことじゃないのに実現が難しい。自己満足が終着点である自分1人の願望の方がよっぽど楽で簡単だ。期待するほど悲しさが倍増してしまう。無駄だったと後悔しそうになる。
何をするにも胡座をかいてしまうと、すぐに崩れてしまって脆い。勘違いと難癖で固められたままは御免だ。大人の対応で謝られるくらいなら怒られた方がいい。もし次に本当に謝られても全然感情的になれない。それすら悲しい。
悲しいことが多くて疲れてしまった。自分なりに一生懸命やったとしても、その時しか評価されないか、気付いてすらもらえない。まるで相乗効果がない。一生サポート役で喜ぶ女なんてもう絶滅危惧種。
今の私は優しくないし、可愛げがない。
傷モノの重さを天秤にかければ、きっと今互いに等しくなってるはずなのに自分の心の狭さに嫌気がさす。
いかなる悲しみも全て許せたら「大人」とか「良い女」とかいう称号が貰えるかもしれないし、もう泣かなくてすむかもしれない。
でもまだそんな称号はいらないし、貰えるはずもない。恩着せがましいなんて言わないから、与えられる恩で着膨れしていたい。