"悪くはない"のおまじない
大学の同期と話しているとき、ふいに私の過去の恋人の話になった。過去の人は今、時の人になっているらしい。
記憶の蓋を外せば、堰き止められないくらいの速度で思い返される。
過去の恋人を思い出して、ああなんて素敵な時間だったんだろうと美化してしまう。その当時の最終回はきっと悲惨なものだったんだろうに。「いまどうしてる?」の問いに140字以内で答えるから聞いてほしい。過去を思い出して美化して、今と引き合いにして今を劣化させる思考はどう考えても良くない。悪い癖だと思う。悪い癖はなかなかやめられない。"今"は廃れていく一方だ。でも、これもまた過去に変われば美化されて素敵な時間だったなんて酔った台詞を吐くんだろう。
その反動で嫌になったものはたくさんある。
大人数の飲み会に2人で抜け出して、味も分からずに飲んだ赤ワインと飲みかけのハイボール。終電間際の誰もいない公園のベンチ。スターバックスで何を言わずとも理解してしまう時間。7月の鎌倉。くしゃっとした笑い方。背伸びした六本木ヒルズのカレーライス。渋谷が本当に煩くて聞かなくなったMy Hair is Bad。要らない余計なほどの優しさ。いつも待ち合わせのあの駅。酔ってふざけた自宅前。
今は全部要らないものだけど、記憶として必要な気がする。
本当は美化もしたくなければ、全部嫌いになりたくもない。
先日、"生涯を共にするのはこの人だ"と直感的に思う人がいたと友人から連絡があった。ビビビッときた、みたいなよく言う感じではなかったらしいけど、それと似た類。
その世界線は、どのくらいの確率で一生に何度訪れるのか計り知れない。
もし一生に一度だとしたら、私は幸福な世界線から外されてしまった。だからあとはただ好きに生きる、それ以外に幸せな道はなさそう。
"不幸を共にできる人と一緒にいた方がいい"と先輩既婚者が助言する。
不幸を共有することが1番不幸な気がした。
仮に貴方が平和な世界を目指すと、一番最初に貴方が殺される。それはどこの世界でも変わらないルールみたい。
現状に満足していると装って疲労困憊して死んでしまうのと似ている。
通帳残高と心の廃れ具合が馬鹿みたいに比例する。
コミュニティを狭めると、興味が減って仕方ない。
終わらせれば、また一から始めなきゃで面倒だ。
終わりにしなければ、全部が続いてしまって報われない。
人に向けるそれぞれの感情が、友情か愛情か母性かはたまた同情か分類できない。
できないことは放っておいて、しなきゃいけないことには「Hey Siri 全部やっておいて」で済まして、まだ知らない世界に飛び込みたい。