mie's trash box

要らないものは捨てましょう。

なんでもないってたまには言わせて

"なんでもない"をすぐ使っているからやめたほうがいいと言われた。自分でも口癖的に多用してるのは分かっていたけど別に悪いという風には思ってなかった。言おうとしたけどまあ別にわざわざ言うことでもないし、なんなら言わない方がお互いのためだと先を予測する脳と言葉を発する速度がずれているのだと思う。未だに矯正できていないのがここにきて指摘された。それだけのことだと思いながら私の思考回路にへばりついている。

 

私は平和主義だと思う。人類皆兄弟精神で考えれば人と争うのは馬鹿みたいだ。と、思うように決めたターニングポイントがこれまでの人生にあったと思う。いつだったか忘れたけど、たぶん何もかも気に入らなかった中学生のときだった気がする。そのおかげで極力私から怒らないように理性を保てている。歳をとるにつれて話し合いで解決しようということが多い。だからすぐに口喧嘩らしくなる。理性を持って冷静に話し合えばいいものを感情で会話し出すから意味のない口論になる。無駄が嫌いだ。要らない感情を“あ、やっぱりなんでもない”で沈めることができるなら別に言ったっていいじゃんって思った。でもそれはとても利己的で自分勝手な言い分なんだとも思ってしまった。なんでもないって言われたら、例え悪いことでも気になってしまう。「なにを言おうとしたの?」って聞き返されて当然だろう。

 

じゃあ、相手も傷つけず自分も傷つかないようにするにはどうしたらいいんだろう。

嘘をつくリスクは時と場合によってはかなり差があるけど、このくらいしか思いつかない。でも相手によっては、あるいは物事によっては嘘をつきたくない時があるし、そんなとき“なんでもない”は便利なツールだと思う。っていうスパイラル。

 

嘘は良くないと思う。よく嘘をついてしまうのだけれど。相手に、それ嘘でしょって分かるような嘘だけをついてる(つもり)。素直じゃないのかもしれない。いつも嘘をついてるわけじゃないけど、どういうわけか大事なところで本当から目を背けてしまう。怖いんだと思う。この歳にもなって、まだ自分の本質を話すことがなかなか出来ないでいる。信じてないわけじゃない。むしろ信じている。信用している。でも勝手に私を信じきらないでほしい。信頼しないでほしい。がっかりされたら困るから。悲しくなるから。思ってるより弱いのかもしれない。

願わくば私がぐらついていないか疑っていてほしい。

これらも全部、利己的で自分勝手だから嫌になってしまうな。どう考えても踏んだり蹴ったりで行き場がない。

 

そんなことを思いながらまた“なんでもない”って言っている。