風情のある5月病
きらいは好きの始まりだ
最近気がついた
私の場合だけど
嫌いなものをわざわざ嫌いだと思わない
感情は消費制
大切な私の感情を負の感性に使うのはあまりにも勿体無い
そもそも感情が生まれることが少ないので正の感情をより多く生産したい
分かってくれなくていい
という反面、分かってくれる人に懐いている
類は友を呼ぶという言葉はこういう感情から来てるんじゃないだろうか
分かってくれる人は理解してるんじゃなくて
元々そういう素質を持ってる人な気がして世界は狭いと思う
5月病がネガティブ思考を生み出していると言うには大袈裟すぎる
しかし増加傾向にあるのは間違いない
今年の5月病は忙しさのあまり忘れ去られてしまっていてなんだかそれはそれで可哀想な気がした
なんでもない、
そう言うと拗ねている少年みたいな
暑さに煽られ5月という言葉は陰に隠れてしまった
やっぱり可哀想に思う
反対に正方向の感情を思い返してみると、いつの話になるだろう
受動的に得られるポジティブ感情はあまりない気がした
いつも自発的に起こる
起こしてくれる場所に自分が赴いている
5月で言えば受身的に得られた感情で前向きなものと言えば、友人というか話せる人が少し増えたことくらいじゃないか
それくらいというか、それほどと思うかは人それぞれだけど私は後者よりの性格をしている
やる気がないのはいつもと同じで
やらなきゃいけないのは毎日で
毎日毎時間毎分毎秒進んで生きているのは私だ
5月病だからじゃない
でも5月病という言葉があるから
全てを5月のせいにできる
今年の5月はいつも雨雲があるような
気圧が低いような感覚ではなく
風情があるような気がしてしまった