食べることも着ることも旅することも
- 食べること
「今日何する?」と恋人に尋ねられた日曜日、私はほぼ決まって「美味しいものを食べに行く」と言うらしい。
私自身、意識していたことではない。
平日は自炊をしているが、これといった得意料理もないまま、ただ食べられるものを作ってそれを黙って食べているだけの食事をしている。現代はとても便利なものばかりで、袋にある液体を入れて食材と混ぜ合わせれば簡単に"料理"が出来上がる。それに平日の忙しさにかまけて、これくらいの料理でお腹いっぱいにはなるしいいやと妥協している。大体毎週同じものを食べている気分になるが、それが1番楽で胃としては満足している。だから続けてしまっている。
だからこそ、休みの日は誰かと一緒にご飯が食べたいし、食べるならより美味しいものが良い。無意識ではあるけど、至極当然のように思う。
最近はコロナのせいで全然外食ができていない。むしろ、飲食店がやっていない又は閉店してしまうなんてこともある。
私にとって外でご飯を食べることは、週一のご褒美だった。今はそれがなくなっている。
お酒も然り、1人で飲むのと好きな人と飲むのでは楽しさが全く違う。
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着ること
年に何着買っていただろう。
自宅にはウォークインクローゼットがあるのだが、ほぼ、服で埋まっている。さらにチェストと二段のハンガーラックが部屋にある。天井まである靴箱はもう入りきらない。
今年は何着、何足買っただろう。
今年の春夏は何も買っていないと言っても過言ではない。外出をしていないから買う機会がなかった。ネットで春用のコートを買ったくらい。でも1.2回着て気付けば春が終わってた。
元々持ってる自分の好きな服を着る機会も減った。
適当なTシャツと適当なショーパンやらワイドパンツを着回す毎日。入社式のために下ろしたスーツは一度も着ていない。家にいるばっかりで大体同じような服を着ている。最初は努力した。しかし、洗濯は面倒になるしどうせ誰が見るわけでもないしという思考が全部をかき消した。知らない間にショッパーは有料になっていて(一部)、私が買わなくても世界は回ってるんだと思った。まあ、そりゃそうなんだけど。
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旅すること
大学の卒業旅行は国内だったので3月ぎりぎり行くことができた。唯一の救い。
大学生時代に一度だけ海外旅行に行った。本当はもっと行きたい気持ちはあったけど、今この状況になってより一層もっと行っておけば良かったと思う。
高校時代の友人と旅行に行く時は全員の所在地がバラバラのため大抵現地集合が多い。当日のスケジュールを決めるのにリモートで会議をしている時から楽しかった。
地元が北海道のせいか、本州に旅行に行くのは1人でも慣れている。
1番楽でスケジュール通りたくさん回ることができたと思う旅行は、京都と大阪に3人で行った時。もう3年前のことだけど、楽しかったことは鮮明に覚えてる。あれも、これも。
最近の旅行は、山梨県に行ってちょっと良い旅館に泊まったこと。でもなんとなくSNSでシェアし難いなという雰囲気。別に禁止されているわけじゃないのに抑制されている感じ。
- 全てが満たされること
全てが満たされることはもうないかもしれない。
満たされた時間を知っているおかげで、全部がつまらなくなるかもしれない。
そのなかで満たされることをまた探さなきゃならない。
考えてる途中で面倒だなあと思う。
生きていれば当然のように悲しいことがあるし、たまに嬉しいことがある。そんな当たり前が今後もまかり通る世の中だと信じるしかないのかもしれない。