時間を育てる
実を言えば、私は待つことが苦手なのかもしれない。待つ行為自体には特に何とも思っていないけれど、待ち時間がどうにも嫌いだ。その時間に余計なことを考える癖がある。それが大体マイナス方向でそんな自分も嫌いだ。
自分の言葉に嘘はないと自信を持っていたのにそれを自ら破ってしまった。大きく開いた穴は塞がるものだろうか。塞いでもらえるものだろうか。
待っているときにどうしても落ち着いていられないようなもどかしい感情が芽生える。私は考えるより行動しがちな方で具体的に何をするか決まってもないのに走り出す。思ってるより感情的なのかもしれない。あまりオススメはできない。どうしようもないことを言葉にするのはかえって迷惑になると思っている。だから本当は息が切れるほど走っているのに平静を装っている。
しかし冷静さが逆撫でされるときがある。決めつけられるのは嫌いだ。自分本位はしばしば殺す必要があることを理解し合わなければならない。思いやりを常駐させなければ枯れてしまう。
感情を持つには我慢が必要だと思った。でもその我慢を伝えることも大事だと思った。押さえつけるのではなくて、感情を確立するのに時間がいる。そう思ってはいるものの、耐えられるかは別問題って言いたい。一定の不安はいつもつきまとう。誰も強くない。でも全部抱えてじっとしてなきゃいけない。
現状として期限が決まっていない時より決まっている時の方が私は私を抑えるので精一杯だ。例えば次に会えるのがいつか全く見当もつかないほうが気持ちに余裕があったような気がする。退屈な時間がひどく重い。いくら水を飲んでも潤いがない、というのは言いすぎたか。本当はもう居ても立ってもいられない。
時間を育てることが多方面においてきっと大事なんだろうし自分のためにもなるんだろう。現にずっと気がかりだったことが解消されたとき嬉しさのあまり声を殺し涙してしまった。これから先、私と私の好きな人たちが笑ってたらいいなと願うばかり。