新年という消耗品
また年が明けた。2019年に塗り替えられ、2018年はどこか遠くに追いやられてしまった。平成最後の正月を迎えている。
昨年の自分を振り返るとなんかパッとしない。何も出来なかったわけじゃないけど、これと言って出来たこともない。ゆるやかにただ生きてしまったかもしれない。
悔やむことはあるかもしれないけど、年が明けたのでもう精算されている。
例えばあのマルボロの匂いはもう掴めない。絶対的に欲しがってくれないから私は換気扇を回した。そんな夏の終わり、秋口があったような。
夏以前の記憶があんまりない。冬の記憶が最近だからか、印象的だからか。
この中の下書きに私が埋まっていて去年のうちに捨て去ってしまいたかった。ただ消去してしまうのも勿体無いしどうしたらいいか迷っている。文章は稚拙すぎるのだけれど、その考え事はきっと生きる上で重要なんじゃないかと思う。
愛とか平和とか勉学とか労働とかどうせ生きる上で大事なんでしょっていう気持ちを持っている。好きなものが減ったり増えたりの繰り返し。このサイクルさえなければ悩むことなんてないのにな。
ピークを過ぎれば減ってしまうのが世の常か。諸行は無常か。夢とか希望を掲げるくせに運命に抗えないのは人間がいかにちっぽけなのかを示しているのに、誰も分かってない。昔の人も分かってない。絵でも音楽でも映像でも表現できない。もちろん私も分かってない。
今年の目標はなんだろう。
そろそろ理想の大人に近づきたい。
色んなことに関心を持ちたい。退化したくない。個性を潰したくない。幸せになりたい。
愛想が良くて懐の深く器の大きい思慮深い正義感の強い自立している、人にも自分にも優しくできる人間になりたい。
正解なんてどうでもよくて私が答えであってほしいと思うのは我儘なんだろうか。まだまだ子どもなんだろうか。
イージーモードでは生きていけない。
そのくせ、日々頑張って生きてもほとんどを忘れて生きている。
わたしはあなたを殺そうとしていたのに守っていた。
あなたはわたしを守ろうとしていたのに殺していた。
この現状を壊すのはきみか。
どうしようと新年から私が言うと、どうもしなくていいときみは言った。
また何かを消費してしまった。
まあ色々考えた末に今年もふわっと退屈しない年にしようと思った。