mie's trash box

要らないものは捨てましょう。

弱メンヘラ

目に映る景色がまるで第三者的な風景として見える時があって、大体その時の私の精神状態は浮遊感でいっぱいでありつつ感傷に浸っている。

 

当たり前のように流れる時間はどうもこころが痛い。

過去はもちろん消去できない。

例えば、忘れること、あらゆるデータを消すこと、過去を今できることで埋めて見えなくすること、そんなことならできるでしょう。

それくらいしかできない。

テクノロジーが進歩するなら、いっそ記憶自体もごみ箱移動できるような新機能を搭載するのもこの際懇願したくなる。

意識すればするほどに、きっと思い出そうとすればすぐ思い出せてしまう。

なんて便利な機能。なんて不必要な機能。

 

「貴方は何でもできるから」

そう言っておけば、何かあった時の頼み事も自由自在。

貴方に私の何が分かるの、と更にお決まりの台詞でも重ねておこうか。

消費したい欲求が強いのは動物的感性だろうか。

何ら変わりない、人類既にもう21世紀。

よくもまあ続いたものだ。拍手喝采。

偉そうなことを言っておいて、私は消費されたくないと強く思う。

本末転倒。水掛け論の始まり始まり。

 

中途半端な歩き方が仇になる。

過去を思い返せば真っ直ぐ辿ることができない。

どこに行っても一生迷子。

 

綺麗とか美しいとかそういう形容は夢物語なんじゃないかと本気で思う時もある。

 

いつか、なんて言ってたらそのうち死期が近づいてるよ。

 

快楽と退屈が紙一重に思える内は子どもか。

退屈だと思うことはもう既に人間古来の醜さの始まりか。

 

圧倒的な夕焼けを見たときに全てを超えて感情が空になった。

今ここにあったはずの心がなくなった。

失望のような愉しさ。そんな感じ。