mie's trash box

要らないものは捨てましょう。

フィクション

"出来ることなら明日にでも結婚したい"

私の知っている貴方から想像つかない言葉。

ふと脳裏の浮かぶのは、環状通沿いのスタバ、ホットコーヒーを向かい合わせで飲む姿。

私が持ってる貴方の記憶はきっとあの時で止まっている。

結婚なんてフレーズは簡単に口にするものじゃない。出来ることなら一生に一度でいいくらい。誰もが知っているのだろう。ただ、年齢を重ねるほど意識はして生きているのだと思う。安定や幸せを求めるのは一般的だ。

貴方の芯はいつ見てもブレることはない。だからきっと実現してしまうのだと思う。

来年になったら状況が一気に変化することばかりで、考えることはたくさんだと言っていた。

"全部似合ってないね"と言ってしまいたかった。こんな話をするようになったかと成長したと言うべきなんだろうか。物理的に遠くにいても離れた人と感じなかったあの不思議な感覚はどこに行ってしまったんだろう。あの頃全部眩しく見えたのはどうしてなんだろう。

いつからか、私は誰もいないタイミングを狙って帰っていて、実際に会うことはしていない。東京で会うことも何かと理由をつけてしてこなかった。向かい合わせで座ることがもう出来ないと思っていたからかもしれない。

反対にSNSを通じて生存確認される私は、人々の中で本当に生存しているのか正直不安にも思っていた。

相変わらずの矛盾に笑ってしまう。

会わずして3年目の夏、貴方は普通になっていた。

元々普通だったと言われてしまうんだろう。本質的な部分は変わってないけれど、古くなったぬいぐるみみたいだった。

もうきっと蓋をしなくても大丈夫だと思った。

いつまでも私の中の憧れだった人には変わりない。ただ、今は違うだけの話。私もきっとあの頃と比べれば変わった。もう自分のことを知られても、ただ嬉しく思う。

まだ貴方に話せてないことがある。また今度話す約束をして今日は解散。

 

食べることも着ることも旅することも

  • 食べること

「今日何する?」と恋人に尋ねられた日曜日、私はほぼ決まって「美味しいものを食べに行く」と言うらしい。

私自身、意識していたことではない。

平日は自炊をしているが、これといった得意料理もないまま、ただ食べられるものを作ってそれを黙って食べているだけの食事をしている。現代はとても便利なものばかりで、袋にある液体を入れて食材と混ぜ合わせれば簡単に"料理"が出来上がる。それに平日の忙しさにかまけて、これくらいの料理でお腹いっぱいにはなるしいいやと妥協している。大体毎週同じものを食べている気分になるが、それが1番楽で胃としては満足している。だから続けてしまっている。

だからこそ、休みの日は誰かと一緒にご飯が食べたいし、食べるならより美味しいものが良い。無意識ではあるけど、至極当然のように思う。

最近はコロナのせいで全然外食ができていない。むしろ、飲食店がやっていない又は閉店してしまうなんてこともある。

私にとって外でご飯を食べることは、週一のご褒美だった。今はそれがなくなっている。

お酒も然り、1人で飲むのと好きな人と飲むのでは楽しさが全く違う。

  • 着ること

年に何着買っていただろう。

自宅にはウォークインクローゼットがあるのだが、ほぼ、服で埋まっている。さらにチェストと二段のハンガーラックが部屋にある。天井まである靴箱はもう入りきらない。

今年は何着、何足買っただろう。

今年の春夏は何も買っていないと言っても過言ではない。外出をしていないから買う機会がなかった。ネットで春用のコートを買ったくらい。でも1.2回着て気付けば春が終わってた。

元々持ってる自分の好きな服を着る機会も減った。

適当なTシャツと適当なショーパンやらワイドパンツを着回す毎日。入社式のために下ろしたスーツは一度も着ていない。家にいるばっかりで大体同じような服を着ている。最初は努力した。しかし、洗濯は面倒になるしどうせ誰が見るわけでもないしという思考が全部をかき消した。知らない間にショッパーは有料になっていて(一部)、私が買わなくても世界は回ってるんだと思った。まあ、そりゃそうなんだけど。

  • 旅すること

大学の卒業旅行は国内だったので3月ぎりぎり行くことができた。唯一の救い。

大学生時代に一度だけ海外旅行に行った。本当はもっと行きたい気持ちはあったけど、今この状況になってより一層もっと行っておけば良かったと思う。

高校時代の友人と旅行に行く時は全員の所在地がバラバラのため大抵現地集合が多い。当日のスケジュールを決めるのにリモートで会議をしている時から楽しかった。

地元が北海道のせいか、本州に旅行に行くのは1人でも慣れている。

1番楽でスケジュール通りたくさん回ることができたと思う旅行は、京都と大阪に3人で行った時。もう3年前のことだけど、楽しかったことは鮮明に覚えてる。あれも、これも。

最近の旅行は、山梨県に行ってちょっと良い旅館に泊まったこと。でもなんとなくSNSでシェアし難いなという雰囲気。別に禁止されているわけじゃないのに抑制されている感じ。

 

  • 全てが満たされること

全てが満たされることはもうないかもしれない。

満たされた時間を知っているおかげで、全部がつまらなくなるかもしれない。

そのなかで満たされることをまた探さなきゃならない。

考えてる途中で面倒だなあと思う。

生きていれば当然のように悲しいことがあるし、たまに嬉しいことがある。そんな当たり前が今後もまかり通る世の中だと信じるしかないのかもしれない。

"悪くはない"のおまじない

大学の同期と話しているとき、ふいに私の過去の恋人の話になった。過去の人は今、時の人になっているらしい。

 

記憶の蓋を外せば、堰き止められないくらいの速度で思い返される。

 

過去の恋人を思い出して、ああなんて素敵な時間だったんだろうと美化してしまう。その当時の最終回はきっと悲惨なものだったんだろうに。「いまどうしてる?」の問いに140字以内で答えるから聞いてほしい。過去を思い出して美化して、今と引き合いにして今を劣化させる思考はどう考えても良くない。悪い癖だと思う。悪い癖はなかなかやめられない。"今"は廃れていく一方だ。でも、これもまた過去に変われば美化されて素敵な時間だったなんて酔った台詞を吐くんだろう。

 

その反動で嫌になったものはたくさんある。

大人数の飲み会に2人で抜け出して、味も分からずに飲んだ赤ワインと飲みかけのハイボール。終電間際の誰もいない公園のベンチ。スターバックスで何を言わずとも理解してしまう時間。7月の鎌倉。くしゃっとした笑い方。背伸びした六本木ヒルズのカレーライス。渋谷が本当に煩くて聞かなくなったMy Hair is Bad。要らない余計なほどの優しさ。いつも待ち合わせのあの駅。酔ってふざけた自宅前。

 

今は全部要らないものだけど、記憶として必要な気がする。

本当は美化もしたくなければ、全部嫌いになりたくもない。

 

先日、"生涯を共にするのはこの人だ"と直感的に思う人がいたと友人から連絡があった。ビビビッときた、みたいなよく言う感じではなかったらしいけど、それと似た類。

その世界線は、どのくらいの確率で一生に何度訪れるのか計り知れない。

もし一生に一度だとしたら、私は幸福な世界線から外されてしまった。だからあとはただ好きに生きる、それ以外に幸せな道はなさそう。

 

"不幸を共にできる人と一緒にいた方がいい"と先輩既婚者が助言する。

不幸を共有することが1番不幸な気がした。

 

仮に貴方が平和な世界を目指すと、一番最初に貴方が殺される。それはどこの世界でも変わらないルールみたい。

現状に満足していると装って疲労困憊して死んでしまうのと似ている。

 

通帳残高と心の廃れ具合が馬鹿みたいに比例する。

コミュニティを狭めると、興味が減って仕方ない。

終わらせれば、また一から始めなきゃで面倒だ。

終わりにしなければ、全部が続いてしまって報われない。

人に向けるそれぞれの感情が、友情か愛情か母性かはたまた同情か分類できない。

 

できないことは放っておいて、しなきゃいけないことには「Hey Siri 全部やっておいて」で済まして、まだ知らない世界に飛び込みたい。

 

恩を着せると仇で返される(2019.6.13)

涙は自己防衛反応だと思う。

涙で初めに思い浮かぶのは悲しいことがあったのだろうかということ。身体の悲鳴が涙になるみたいな文章をどこかで読んだ。

一定の浄化作用が見込まれ、泣いた後リラックスできたりストレス発散になったりするという。

ちなみに、小さい赤ちゃんは泣くのが仕事らしい。

 

初期機能として備わっているものなのに、歳を重ねるにつれ意味がなくなっている気がする。ただ泣くとその分疲労の度合いが比例的に増えていて余計だ。場合によっては、大した浄化作用が見込めないときもある。歳を重ねることが難しいことなのか、泣くという行為が難しくなることなのか22歳には分からない。このシステム自体がもはや恩着せがましい。有難くもなんともない。結局、泣いたところで解決にはならない。

 

覆水盆に返らず

まさにその通りだ。泣いたところで仕方ない。

起きてしまった理由やそれまでの経緯やら何をどれだけ説明しても、その分無意味だったことを思い知らされ余計に悲しくなるだけだ。仇で返されるなら、涙腺を失くしてからにしてほしい。

 

私の最近の願いはそんな大したことじゃないのに実現が難しい。自己満足が終着点である自分1人の願望の方がよっぽど楽で簡単だ。期待するほど悲しさが倍増してしまう。無駄だったと後悔しそうになる。

 

何をするにも胡座をかいてしまうと、すぐに崩れてしまって脆い。勘違いと難癖で固められたままは御免だ。大人の対応で謝られるくらいなら怒られた方がいい。もし次に本当に謝られても全然感情的になれない。それすら悲しい。

 

悲しいことが多くて疲れてしまった。自分なりに一生懸命やったとしても、その時しか評価されないか、気付いてすらもらえない。まるで相乗効果がない。一生サポート役で喜ぶ女なんてもう絶滅危惧種

今の私は優しくないし、可愛げがない。

傷モノの重さを天秤にかければ、きっと今互いに等しくなってるはずなのに自分の心の狭さに嫌気がさす。

いかなる悲しみも全て許せたら「大人」とか「良い女」とかいう称号が貰えるかもしれないし、もう泣かなくてすむかもしれない。

でもまだそんな称号はいらないし、貰えるはずもない。恩着せがましいなんて言わないから、与えられる恩で着膨れしていたい。

キスマークの跡は痒い

宇宙は大きな箱の中にあるかもしれないって説がある。でも光の跳ね返りが見当たらないから果てはないと言う。

それに対して私は、自分の許容範囲や行動、思考範囲がほとんど決まっていて箱の中にいるのかもしれない。加えて様々なコネクションにより二重の箱に閉じ込められてるようだ。

自由を欲すれば、足元を掬われる。

椎名林檎が「自由を覚えて勝ち取った孤独」と謳っている。

一気に全ての箱を壊せば、私は至上の人生を手に入れ孤独になれるんだろう。

それを抑制するかのように、体に残された跡が痒くて仕方ない。

今のところ私は、自室のベッドに1人で時間を気にせず横になっていることが幸せだ。おまけに好きな夢を見られたなら最高だ。

一般論は必要ない。言われても、そうだねで終わり。その割に欲しいものは説明し難い。結局、大丈夫なんでもない、でやり通す。自分でどうにかするから、でどうにもならない。

貴方と私が分かる貴方と私のためだけの論理は理想論であって、それを実現できれば早めに結婚でもしてしまったほうがいい。

感情が薄いから、もっと映画みたいに大袈裟に感情表現してくれないと誰も救われない。

追っ手が来なければ、私は何も気にせず自分の最適ルートを探してしまう。

そして、無駄に未来に期待する。

それら全てに蓋をして今日もおやすみ。

 

平成最後の個人的な話。

久しぶりに超個人的な話をあったまま書こうと思います。なぜなら、眠れないからです。正直言って私個人の話ではないですが、まあ、聞いてください。

 

平成最後に初めて救急車に乗ることになりました。同乗という形ですが。

ゴールデンウィーク初日、恋人が家に泊まりに来ていました。その彼が深夜1時半ごろお風呂上がりでもう寝ようという頃、床にあった洗濯物を拾い上げようとした瞬間、腰に激痛が走ったそうです。私はそのときその場にいなかったので、どういう場面だったのかは見ていません。なので、「もしかして、ぎっくり腰〜?」などと陽気なテンションで聞いていました。しかし本人は至って真面目。床に座った状態から動けないと言うのです。まだ私は冗談でしょという気持ちでした。彼は立ち上がろうとしていました。でも私には全てがスローモーションに見え、少し痙攣でもしてるのか、という風に見えていました。痙攣は、ただ彼が腕の力を振り絞り腰に負担をかけず動かさないように立ち上がろうとしていただけなのです。まだ20代前半です。同い年です。疑いました。でも彼は本気なのです。私はだんだん焦ってきました。まだ乾かしてない髪を気にする余裕もなくなってきました。「救急車を呼んだ方がいいんじゃない」と私は言いました。彼は渋った顔で「とりあえず寝て明日起きてまだ痛かったらでいいんじゃない」と言うであろう台詞を言ってきました。「明日になったらよくなるの?悪くなることはないの?寝る間に動かないってことないんだよ」彼は諦めて119番をしました。腰以外はいたって元気で、いつものぶっきらぼうな言い方で救急車を呼びました。深夜2時です。病院に着くまで、彼が不安そうだったので手を握っていました。私はどんなときでも冷静なタイプで良かったなと、初めて役に立ったな、この能力と思っていました。

(実を言うと、病院に着いて待合室で待っているとき耐えられず自分の母に連絡していたのは内緒です。父が同じような症状になったときがあり、自力で治していたことがありました。ただ父は特殊であり、病院嫌いであり、自分で治療法を知っている人なので必要なかっただけです。このとき母は救急車を呼ぶ手前までしていたことを思い出しました。後に、私は家に彼を呼んでいたことで母に怒られることになるとはこの時は知りませんでした。)

病院に着いてすぐレントゲンを撮りに行きました。その間、彼の母にLINEで連絡を入れておいてと言われ、違う焦りが私に降り注ぎました。会ったこともないのに連絡していいものだろうか、しかも彼のスマホで。彼になりきると言っても絶対口調に無理があります。それで失敗したくはなかったので、私は彼に怪訝な顔をされるであろう連絡の仕方を取りました。ちなみに彼の祖母にも同じような連絡をしました。内容は、一般的な挨拶を前置きに緊急の連絡、と言った内容でした。しかし後に連絡内容を見られ、彼は怪訝そうな顔をしました。

それから痛みが引くまで入院だと言われ、彼は4人部屋の病室に入って行きました。私は次の日から2連勤でバイトだったので「死ぬ気で2日で治せ」と怨念を送りながら、看護師の話を聞いていました。そんな怨念虚しく、彼は私に「明日、眼鏡と着替え持ってきて」とぶっきらぼうに言うのです。(明日はバイトだって言ってんでしょ。私が遅番でよかったな!!)

彼はイレギュラーに弱いタイプです。相当気が動転したことでしょう。しかし、そんなこと知ったことではないのです。私が欲しいのは、ありがとうとか、ごめんとか、こんな時間なのに1人で帰れる?とか、本当は怖かったとか、そういうことなのです。業務連絡はしなくても分かります。なんなら、心身不安定なあなたより分かります。付き合う前から古典的亭主関白な一面があることはわかっていて、それでも付き合ったので文句が言いにくいところではあります。ただ、私たちは2日前にも同じようなことで喧嘩しています。私が言いたいのはこういうことです。私はあなたを想っているから、あなたも私を想って欲しいのです。思いやりは減るものじゃないでしょう。もっと私をいい気にさせてうまく利用すればいいのです。私があなたにしているように。

私は出口がどこなのかわからない病院をなんとか抜け出し、1人でタクシーに乗り自宅に戻りました。戻ってから明日の支度をして、寝ようと思っても全く眠れず、これを書いています。公開したことが見つかったらきっと私はまた怪訝な顔をされることでしょう。でも、それ以上に焼肉くらい奢ってくれても罪にはならないと思っています。

朝少し寝て、彼の衣類を持って病院に出かけました。それまで彼からの連絡は一切なく、私はSuicaのチャージ不足で乗る予定だった電車を一つ逃しました。病院に着くと彼の祖母が先に着いていたようでした。布団に潜る彼に手を伸ばすと、寝ているのかと思った彼は起きていました。「まだ痛い?」と聞くと、「昨日よりは楽になった」と言います。私は冗談で「今日、明日で治さなかったらまじで許さないから」と言っておきました。(ゴールデンウィーク唯一の2連勤だったので)すると、彼は「いやあ、(こんなので救急車を呼んで運ばれるなんて)しょうもないよなあ」と言うのです。もう一度言いましょう。そんなこと、知ったことではないし、むしろもうどうだっていいのです。どうにもこうにも、私の気持ちは汲み取られません。きっと大事には至らないだろうと思い、早々に病院を後にしようとしました。そのとき、彼のお祖母様が戻ってきたので、咄嗟に挨拶をしました。全部ひっくるめて、このときが一番焦っていました。これまでの人生経験上、相手の親族に挨拶をしたことがなかったので何が正解なんだろう、と思っていました。

そろそろ怒られそうなので書くのはここまでにします。これが私のゴールデンウィーク初日からの出来事でした。その後のバイトは眠くて眠くてしんどかったです。でも、ノンフィクションでこんなエピソード、一生ネタにしていくしかありません。

 

最後に、いち早く治ってほしいと思っています。平成最後の日も、令和最初の日も、私はあなたといたいので。

 

追記

病状はただの腰痛で、大事には至りませんでした。皆さんも日々の生活習慣や体調管理には気をつけてほしいと思います。特に若い人でも、急に動けなくなったりすることがあることの証明になったと思います。

私はもう二度と救急車には乗りたくないので、自己管理を徹底し、徹底させたいと改めて思いました。

筋書き通りは退屈

たまには予想が外れてほしい。

何に対しても予想しがちで驚きがない。全くつまらないとは言わないけど、刺激がない。

水は飽きないらしいけど、たまには炭酸水がいいし、オレンジジュースは果汁100%のやつがいいし、梅酒のお湯割りはマストでお願いしたい。全くダメだとは思わないけど、変化がないから。

 

唯一私の思惑通りにいかないことは、怒りの感情だと思う。自分自身も相手のことも、全く予測できない。

 

数ヶ月に一度、喧嘩する相手がいる。

その人は顔に似合わずとても繊細だ。

大切にしてあげたいという感情と、大切にしてほしいという感情がいつも私の中で衝突し合い、いつか粉々になる日が来るのではないかと戦々恐々としている。

喧嘩の内容といえば、はたから見たらどう見えるだろう。痴話喧嘩の部類なのか。それが私は気に入らない。感情に任せて言葉を発してしまうことにも、その内容にも、それに対する対応も全部好きじゃない。

そんなくだらないことを思っていると、いつのまにか主導権を握られている。頷くこともままならないまま、会話が終わる。圧倒的な劣等感を覚える。どうでもいいけど、喧嘩のタイミングが生理と被っている時が多く、女に生まれたことにも後悔してしまいそうになる。余計に嫌気がさす。イライラしていることに対して誰からも何も言われたくない。

このままでもいいか、と思い街に出る。知らない人に出会う。それでも、また家に帰るように思考も振り出しに戻ってしまうから情けない。

その人から「明日、家に来てほしいか」と連絡が来る。元々約束していた。来てほしいという返事を待ってる気がした。それが嫌だった。

私は「会いたい」と言った。懇願はあえて避けた。嘘はなかった。

「わかった、行く」という返事に少しの優越感を感じた。でもその気持ちは言えない。きっと「いつもあなたの言う通りにしているでしょう」というお決まりの台詞が来るはずだ。私は何も返さなかった。

その明日の日。私が自宅でちょうど玄関の死角にいたとき、突然扉が開いた。開け方がいちいち雑なのが特徴的だ。彼は私がいるのを確認すると、私をただ抱きしめた。今までの思考が全部無駄になったと思った。結局好きだと思った。エンディングだけは筋書き通りだった。